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写経体験・精進料理

一字一字に、願いを込めて。

皆成院特製 「ゴマ豆腐」


「ようこそ ようこそ」わたくしが、三徳山皆成院住職 清水成眞でございます。
三徳山皆成院・・・源平合戦の時代、伯耆で後白河法皇の子と称して平家をうとうとした人物が拠点としたのがこの三徳山です。
 伝承では「七〇六年(慶雲三年)、役の行者が白雲のたなびく崚嶺へよじのぼり神窟をひらいて、 子守・勝手・蔵王の三神をまつったのが三徳山のはじまり」だと云われています。 三徳山皆成院は、「そら飛ぶお堂」「日本でいちばん美しいお堂」と云われている「国宝投入堂」の玄関口にあります。

  制作 鳥取県 

三徳山(みとくさん)の由来

 三徳山(みとくさん)は古くは、美徳山と称し、慶雲三年(西暦七○六年)、役行者(えんのぎょうじゃ)の開創と伝えられています。

 役行者(えんのぎょうじゃ)は、奥の院投入堂 (国宝)を建立、ご本尊金剛蔵王大権現を祀り、修験道の行場であり、又、山陰道屈指の霊場です。

 嘉祥二年(西暦八四九年)、慈覚大師が、山下に堂宇を建て、阿弥陀如来・釈迦如来・大日如来の三尊を安置し、三佛寺浄土院と称し、一山の総本堂としました。また、投入堂蔵王殿を奥の院としましたた。

 往古は堂舎三十八・寺三千軒・寺領一万町を領して居たと伝えられますが、兵火の為、焼失しました。

 その後、建久七年(西暦一一九六年)源頼朝の本願により、堂舎三十八・坊数五百軒を造営し、寺領三千石及び、山上に五百貫の梵鐘を寄進しました。

 天正五年(西暦一五七七年)、領主南条元継が、当山の再興を願い、文殊堂・地蔵堂(重文)の再建をされ、  

 天保十年(西暦一八三三年)、国主 池田斉訓が本堂を再建、今日に至っています。

 

  三徳とは、

・法身の徳 (美しい心)

・般若の徳 (にごりのない心)

解脱の徳 (はたらきのある心)

 

 人間は、この三徳を体得し、自然に帰心の垢を落とす為、朝に夕に合掌し、祖先に家族に社会と健康に感謝し、世の中になくてはならない人となりましょう。

 

 

合掌する心

 

右佛、左われ 中にゆかしき南無の一声 

                                                 合 掌


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